ボランティア活動に行ってきました
2011年8月9日
みんさんはじめまして、看板工場.comスタッフのS.Nです。
先日週末のお休みと有給休暇を頂きまして、東北地方のボランティア活動に参加して来ました。
岩手県野田村に到着し、 ボランティアセンターで受付を済ませ、ボランティアステッカーを貰いました。
目の付くところへ貼り、作業を行います。ここで任務を知らされます。
ボランティアステッカー
■私の1日目の任務は、支援物資の仕分けや整理です。
実際津波の被害を受けた体育館での活動です。物資は館内にバザーのように並べ、
毎日小出しにしていました。それは被災者の方々に毎日通って頂き、残ってしまう支援物資を一つでも減らそうという考えからだそうです。ちなみに一番人気商品は、水色の大きなポリバケツでした。
津波での水位がわかります。2mほどの水位で、被害の大きさを痛感しました。
休憩時に撮ってきました。近くの涼しげで清らかな川で癒されました。
■2日目は、側溝の泥出し作業です。
全国各地から参加された18名で作業を行いました。
側溝の蓋の開け閉めが大変で、男性陣が気温32℃の中、交代しながら行ってくれました。
とても逞しく感じました。泥は水分を含んで重く下水の様な匂いがしました。
がれきの山です。写真だけでは表現出来ないほどのものでした。
重機を使用しながら撤去活動を行っておりました。
■3日目は宮古市に行ってきました。
ここでは移動中に信号機が機能しておりませんでした。
震災直後は、関東の地域でも広い範囲で停電、節電のため、一時期信号機が止まっていた
事もありましたが、とても怖かった記憶があります。
宮古市では夏場になってもこのような信号機が多数ありました。
いまだ、片付けられていない信号機もありました。
津波の被害で倒壊した家屋の土台も目の当たりにしました。
宮古市は、野田村より津波の跡が色濃く残っておりました。
宮古市でも受付を済ませ、ここでは仮設住宅の談話室の管理を頼まれました。
談話室というのは、仮設住宅にお住まいの方々のコミュニケーションの場として作られているものです。
お茶を出したり、子供が来たら遊んであげたり、宿題のお手伝いをしてあげてほしいとの事でした。
しかし行政の方もまだ混乱中のようで、現地に着くと支援物資の配布はいつから?と尋ねられましたが、、
正直全く話を聞かされていなかったので行政へ連絡を取ってみても電話先に出る方によって回答が全く異なり、
再三電話のやり取りが大変でした。
一時はどうなることかと思いましたが、なんとか支援物資の配布も出来て、
無事帰路につくことが出来ました。
最後に自分へのご褒美に、美味しい冷麺をおなかいっぱい食べて来ました(^^)
今回初めてボランティア活動に参加してきました。
私が訪問した場所は比較的復旧が進んでいる様に感じました。
しかし、非常事態の為、行政と住民の方々の連絡がうまくいっていなかったり、殺伐とする出来事も
正直ありました。少し恐怖を感じる事もあったのですが、多くの住人の方々から、
『ご苦労様です。ありがとうございます。』と声を掛けてくださり、とても励みになり、
良い人生経験になりました。
今、夏の甲子園が開催されています。
開会式での入場行進、そして選手宣誓、彼らから元気をもらいました。
東北地方の高校も続々登場して、頑張っている勇姿を見せてもらっています。
あの頑張りが、直向な姿勢が、私たち国民に勇気をもらっています。
製造スタッフ S.N